自分の発言が権威を帯びてしまい、意図せず誰かを傷つけてしまう
- やまのうち ずん太郎
- 8月10日
- 読了時間: 3分
こんにちは。バーガーの王朝セットBLTコンビです。
今回は私が体験した権威性とその反省について語りたいと思います。
私の職場環境と発言スタイル
私が所属している会社は割とゆるい文化だと言えると思います。
冗談や絵文字を使いますし、関係性によってはあだ名、タメ口、ジョークを言ったりします。
これは批判的な発言や、意見表明を個人の裁量でできることを意味します。
それらの発言について私は、個人の責任として行ってきましたし、
発言自体に対するツッコミや反論、「それは違う」という反応自体も楽しみ、組織の議論を活発化させる意図で行っていました。
「あの人が発言すること」の権威性
これらはあくまで私は1人のエンジニアとして、あるいは特定の地域のおじさんとしての発言でした。
しかしながら、マネージャーやリード、あるいは第一人者として認識されていた場合、意図せず権威を帯びることがあります。
「この考えは違うと思う」「これについては別の意見がある」というのを一個人として言っているつもりが、
批判や別の意見の対象とした考えに同調していた人が、傷ついてしまうことがあります。
「あの人に言われたから私は間違っているんだ」と
無自覚と、それによる暴力に対する反省
私自身、今までカジュアルに「この考えは違うと思う」「これには賛同できない」ということを発信していました。
しかしながら、私に権威を感じている人にとって、これは対等な批判ではなく、上からの評価だと感じてしまいます。
その結果、その話題(この場合はテストや品質保証)に対するアウトプットや情報収集が嫌になってしまうかもしれません。
これは、私が意図しない行動どころか、考えうる限り最悪の結果だと考えました。
私はむしろこれらのアウトプットを賞賛したい気持ちの表現として、フィードバックを伝えていたのですが、これの捉え方には大きな乖離があったのです。
こういった無自覚な振る舞いはあまりに一方的で、ドメスティックバイオレンスにも似た、盲目さからくる暴力だと感じました。
同じように考えて「恥」だと思った人が以下の人です。
権威を持ってしまった人間としてできること
これらのことから以下の学びを得ました。
まず感謝や賞賛を言葉で伝えることの大切さ
権威を持ってしまった人間として個人ではなく集団の中の必要性を考えた上で振る舞うということ
スペシャリストとしての知見を、バランスよく伝えるためのスキルを磨く必要があるということ
今回の自戒の念を忘れず、学びを実践していく第一歩として、この記事を書きました。
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