「侮辱される」ことが我慢できなくなってきた
- やまのうち ずん太郎
- 8月10日
- 読了時間: 1分
こんにちは。やまずんです。
「侮辱される」ことに我慢できなくなってきたことに気づきました。
私は異様に高いプライドを持っています。
組織にいる中で、さまざまな立場や権限の視点から、侮辱的な行動をされることがあります。
「侮辱」とは、単なる批判や意見の相違などではなく、一方的な軽視や相互理解を拒絶するような態度や非難のことです。
これに対して我慢できなくなってきた自分に気づきました。
これは侮辱され続けているという意味ではなく、一つの侮辱に対するケイパビリティが減ったということです。
営業をしていたときは、侮辱されるということはよくありました。
テスト会社にいたときもよくありました。
でも、なぜだかわからないですが、今になって「侮辱されること」に我慢ができなくなってきたのです。
これについて考えた時、「義憤」という言葉が近いことに気づきました。
私自身のプロ意識やプライドが、自分の中の正義感、「世の中はこうあるべき」「この人はこうあるべき」という一方的な願望に変わり、そういった様子を見てしまうことで、私は義憤に駆られ、「侮辱だ」と感じるのでした。
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