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Scrum Fest Niigata 2026に参加して感じたことを書きます。

はじめに


こんにちは。タレカツ食べ損ねおじさんです。


Scrum Fest Niigata 2026に参加したので、そのレポートを書きます。


二度目の新潟

今回の新潟はタスマニアデビ男と一緒に行きました。

行きの飛行機で大阪勢と同じ飛行機でした。


ある人がある品質関連の本を持ったまま爆睡していたのが面白かったです。


会場に行く前に寿司と吉乃川とぽんしゅ館で楽しんでいました。


APAホテルの新潟大通りに荷物を置いて、歩いて向かいました。

わりと行きやすい距離でした。


Opening

スナックおおひらなどがありましたが、スポンサーLTの「鳥」が全てを持っていきましたね。


Keynote 2026年のソフトウェアエンジニアリングを考える

和田さんのKeynoteで、現在のソフトウェア開発における生成AIの変遷と熱狂についてお話しいただきました。

和田さん自身、この発表で示した現状を元にそれぞれで話してほしいという旨をおっしゃっていたのが印象的です。


私はQAとして、この発表を通じて「人間の理解や認知」というものがいつまで、そしてどこまで価値を持つかということに思いを馳せていました。


今議論されているのは「人間が理解できないもの」が「人間の機会損失を与える」という、割とライトで時間によって復帰可能なものをどう扱うかという論点に思えました。


私は近い将来、財産の損失・生命の損失・土地の汚染・環境の喪失といった(人間の認知では)不可逆的の損失のリスクを今のLLMに委ねるのかという論点も身近な問題になってくると思っています。


そうしたときに、QAとしてどういったスタンスを取るべきか、私は考える必要があるなと思っています。

私(タレカツ食べ損ねおじさんとして)は、現状では法や権力と同じ関心で扱われるものだと思っています。

そしてそれに対して、危うさを感じています。

懇親会

タレカツを食べ損ねました。

ヨーロッパから来たD氏が10枚くらいタレカツを持って行っていたのが印象に残っています。


2次会

みんなで囲炉裏を囲ってうまい日本酒を飲みました。


2日目


アンカンファレンス

私の悪い癖でもあるのですが、「どこにも行けない人々で偶発的な語りをする」というのを愛する癖があります。


OSTでどのセッションにも参加しないという行動にも現れますし、今回の「なんにも決まってない部屋」にいきなり突撃したのもそうですね。


色々綺麗事ではない話を率直に話せる場として、私は結構楽しかったです。

「セッション」は公のものであり、「廊下」は個人のものだと思っています。

そして、パブリックとプライベートのはざまにあるグレーな空間としての「アンカンファレンス」がスクフェス新潟で起こったことが個人的には良い体験だったなあと思います。


ソフトウェアテストと哲学を同時に学ぶの作者の人とお話しできたのもよかったです。

ソフトウェアテストという仕事における徳についていつか意見を交わしたいと思いました。


未経験を言い訳にしないーコミュニティに救われた事務局の業務改善

次のやまずんさんの発表のため、一番前で見ていたのですが、初登壇でかなり緊張されている様子で、最初の10分くらいはずっと手が震えていたのが印象的でした。


そして残りの時間では、まっすぐに場のみんなを見て、力強く語っておられたのが印象的でした。


内容として、次のやまずんさんがお話で繰り返し語ろうとしていた「内省的な態度」や「こーちゃぶるな状態」について、自分自身で実践し、それを堂々と発表されていた様子を見て、私の近くにいたやまずんは「自分の発表が恥ずかしい」と繰り返し思っていたのを覗いていました。


コーチングで皆の内なる 「品質への関心」を 探しに行こう

あとでやまずんさんに言っていた話ですが、先輩コーチたちが影を落とした顔をしていたのを見て、すごく申し訳ない気持ちになったらしいです。


AI時代の品質はテストプロセスの作り直し -第四次産業革命はテスト技法の変化におさまらない-

nacoさんがカキで当たったらしく、きょんさんがnacoさんをされていました。

やまずんさんはこれを聴きながらも、発表の疲れもあってあまり理解できなかったらしいです。


ということで、タレカツ食べ損ね太郎としての意見を書きます。

AI4QAを前提としたとき、私たちがこれまで当たり前のように使ってきた「品質特性」という考え方自体を、大きくアップデートする必要があると感じていました。


これまでの品質特性は「プロダクト自体の品質」をいかに評価するか、それを複数のプロダクトで共通の尺度を持ち、それをどう測定するかという点が主な関心ごとだと思っています。


しかしこれからの産業革命において、その前提は覆される可能性があります。

そのプロダクトが置かれている組織やコンテキストに対応する「代用特性(品質特性)としての確からしさ」、つまり真の品質特性との近似性をどう担保していくかが問われるようになります。

そして、その近似性を支えるための品質保証プロセスを、組織の土台として構築しなければなりません。

これはAIを前提としてドラスティックに考える必要があります。


では、この新しい土台の上で、テスターはどのように立ち回るべきなのかを考えます。


私は(nacoさん(代理きょんさん)が主張していたものと通じるのですが)テスト(QA)という活動を通じて「どのような事実が得られたら『リリース可能』と判断するのか」について、組織のイデオロギーや達成するミッションに通じる形で基準と事実の提供をすべきだと考えます。


そこでは興味深い問いが生まれます。

この「リリース可能」という意思決定に、AI自身が関与するようになるのか、それとも判断を下すのはあくまでその組織の人間だけなのか。


この発表では人間の持ち物でした。

一方で私は、この境界線の引き方は、今後のプロセスにおいて重要なテーマになると考えています。

そしてそれを誤ると、不可逆的な損失を生む危うさを感じています。


いずれにせよ、これらを実現するためには、私たちが持っているこれまでの「業務量」や「生産」に関するパラダイムをアップデートするべきだと考えています。


QA4AIについても考えてみます。


大枠の捉え方としては、AI4QAと同じだち考えています(AI4QA4AI)。

AI(LLMに限らず)というプロダクトに応じた独自の品質特性があり、それをどのように計測し、フィードバックループを回していくかという現在のホリスティックテスト(あるいはフライホイール)の文脈の話になるのではないでしょうか。

そして、AI4QAの知見と掛け合わせたときにどのような形になるかは、検討を深める余地があります。


例えば、プロダクトとしてLLMを使うのかSLMを使うのかといったモデル層の選択によって、テストのスコープやアプローチは全く変わります。

そして、その検討自体を最初からAI4QAを前提としたプロセスとして再設計していかなければ、我々のプロダクト、あるいはQAエンジニア自身はこの先生きのこることができないと考えています。


実務的な観点から言えば、QA4AI4QAを一度に実現しようとするのは非常に困難道のりだと考えています。

まずは段階を踏んで、一つずつプロセスを作り上げていく必要があるでしょう。


そして、この意見に対して立ち止まる必要があると考えます。

「段階を踏んでプロセスを作る」という発想自体が、すでに古いパラダイムに囚われている証拠なのではないかという疑問です。


いま、私は強いFOMOを感じています。

劇的なスピードで前提が書き換わっていく中で、自分の中のパラダイムをどこまで"手放し"、新たに作ることができるか。


私はそのことに思いを馳せざるを得ませんでした。


ちなみに、後ほどきょんさんにある質問をされて、このセッションだと答えました。


地域課題を活性化に向けてアントレプレナーシップマインドでアジャイルに取り組んでいく

個人的には一番良かったです。


私とやまずんさんは、今、地方自治体をはじめとした現実世界で接続可能なゆるい連帯のなかで、どのような社会を作っていくかということに強い興味を持っています。


やまずんさんは田舎に住んでいたこともあり、「地方」や「地元」というものに、正直ネガティブなイメージを持っていました。


一方で、「地域」という切り口では、たとえばスクラムやテストといった共通のコンテキストを持たなくても、多様な年代、背景を持つ人々と関わることができます。


これは多くの場合「同調圧力」や「しがらみ」といったネガティブなパラダイムで語られてきました。


私は一方で、これらのつながりは過去里山が持っていたような「レジリエンス」を、我々の人生に与えるような、いきいきとしたつながりになりうると考えています。


そんな中で、リスクを取り、ものごとをはじめるためのソースとしてどのようなふるまいができるか。


そのために行政や政治とどう接続し、次に繋げていくかという点について、重要なエッセンスを知ることができたと思います。


ありがとう

実行委員のみなさん、登壇者のみなさん、参加者のみなさん、ありがとうございました!

 
 
 

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